朱雀帝の譲位
源氏は須磨で夢枕に立った桐壷院の法要を盛大に行った。権勢を盛り返した源氏への弘徽殿大后の憎しみは変わらぬものの、源氏が弘徽殿大后を丁重に扱い軽んじないため強く出ることもない。
朱雀帝は桐壷院の遺志のとおりになったこの状況に満足。眼病もよくなりひと安心だが、いつまでもこの世に執着してはいられないと譲位を決心した。ただ朧月夜の身だけを心配しており、二人の間に子ができないのを嘆いている。歳を重ねて分別ができたからか、朱雀帝の愛情の深さを今更ながらに理解した朧月夜は過去の過ちを悔む。
2月。春宮が元服(げんぷく・成人)する。見るからに源氏とそっくりな顔立ちで入道の宮は後ろめたさで一杯なるも、どうにかなるものではない。次いで朱雀帝が位を退かれた。春宮が即位し、冷泉帝(れいぜいてい)となる。新たな春宮には承香殿女御(じょうきょうでんのにょうご)の子が立った。
源氏は内大臣に、引退していた左大臣も復職して太政大臣に、宰相の中将(頭の中将)は権中納言に昇進した。
また源氏は自身の不遇の折に細々と暮らしていた花散里たちを住まわせようと、二条院の東の屋敷を改築しはじめる。
明石の君の出産
身重の明石の君はどうしているだろうかと心配になった源氏は使いを遣った。報告によれば女児(明石の姫君)を出産したとの話。占いによれば「源氏の子は3人。帝と后、そして太政大臣が生まれる。后は身分の高くない女から生まれる」とあったので、将来后になるやもしれぬ子を片田舎で埋もれさせてはいけないと、親しい女性を乳母(めのと)として派遣する。
明石に辿りついた乳母はこんな田舎で心細いと感じたのも束の間、これ以上ないという赤ん坊の美しさにすっかり虜になって世話に当たった。
子が生まれたとあっては隠しておくわけにもいかぬと、源氏は仔細を紫の上に明かす。紫の上は嫉妬しつつも、それほどまでに明石の君という女性は素晴らしい女人なのかと思いを巡らせた。
生誕五十日目の祝いにも源氏は使いを遣って盛大な祝いの品を届ける。源氏の心づくしに明石入道は涙を流して痛み入った。
公務の忙しさやらに気をとられ出向く暇がなかったのを反省し、源氏は数年ぶりに花散里のもとを訪ねる。花散里の気立てのよさは変わっておらず、心休まる女性のままだった。
秋になった。源氏は宿願の礼に住吉大社(大阪市住吉区の神社)へ詣でた。偶然にも明石の君も舟で住吉へ詣でに来ていたが、源氏の参拝の大行列に気圧されてしまう。威風堂々と進む行列に夕霧の姿を見つけたものの、明石の君は我が娘との境遇の差をまざまざと知り、却って落胆してしまうのだった。
従者の藤原惟光が明石の君も参拝に来ていることを源氏に知らせると、声も掛けられず哀れなことだったと明石の君へ和歌を送った。
六条御息所の死
伊勢から六条御息所と斎宮(秋好)が戻ってきていた。六条の屋敷で暮らしていたが、御息所が病にかかり命いくばくとない状況に陥ったため来世を思い出家してしまう。
過去のいきさつはあれど、あまりに急な出家に驚いた源氏は色めいた気持ちでなく、真摯に彼女のもとを訪ねる。
たいそう弱ってしまった御息所は源氏に対して、遺される娘、秋好のことを託すが、源氏が秋好に変な気を起こさないようにしっかり釘をさした。源氏は物陰越しにちらりと見えた秋好の姿に心躍る気持ちになるものの、御息所の言葉もあるので自制する。
そんなやりとりをしてから一週間くらいで御息所は亡くなってしまった。源氏は六条へ赴き、しかるべき指図をして立派に葬儀を執り行った。
ひとりになった秋好の引き手はあまたで、朱雀院からもずっと声が掛かっていた。しかし女人の多い院で苦労するよりは、まだ年端もいかぬ冷泉帝のそばで教育係的な立ち位置で仕えるのが良いだろうと考えた源氏は女院(入道の宮)に相談する。女院は源氏の案に賛成するが、兄の兵部卿宮も娘(王女御(おうのにょうご))を冷泉帝の女御にしようと画策していることを考えると、源氏と兵部卿宮の間の溝が深いのにも困ったものだと頭を抱えた。
権中納言と四の君の間の娘も入内し、弘徽殿女御となった。まだまだ子供の冷泉帝だが、后の座を巡って周囲では静かに権力争いが進んでいた。